2006-01-29

ちょっとうれしいこと [α-7]


消えてしまったエントリの中身を思い出しながら書く。

コニカミノルタの写真関連事業からの撤退を受けて、血迷ったあげくに購入した α-7 が届いたのがうれしい。小気味よいレスポンスと見やすいファインダでなんだかうきうきしてくる。そこそこ高級感もあるし、実売で(購入時の)α Sweet DIGITAL のほぼ半額なんて信じられない。

なんてことを書いていたと思う。

投稿した画像の行く末

Blogger で組み込みの画像投稿ツールを使うと普通は

<a href="http://photos1.blogger.com/blogger/5877/1797/1600/PICT1061.0.jpg">
<img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://photos1.blogger.com/blogger/5877/1797/320/PICT1061.0.jpg" border="0" alt="" /></a>


のように指定され Blogger のサーバに画像ファイルが保存されるようになっている。で、その画像を含むエントリを削除するとどうなるか。試してみた。

……

とりあえず、削除直後には参照できるようだ。で、Blogger側で用意されている画像ファイルの容量は300MBに制限されているらしいので、もしこの画像ファイルがそのまま残るのだとすると、画像のあるエントリを消したあとでも、実際には使われていないファイルが残ってしまうことになる。いつかの時点でガベージコレクションされるのだろうか。

「投稿を編集」の不具合?

投稿 -> 投稿を編集 での既存の記事のリスト表示に、存在する記事で出てこないものがある。「ブログの表示」で記事自体は見ることができるがどうなってるのだろう。インデックスの更新で直るかな。

2006-01-22

ちょっと悲しいこと[コニカミノルタが写真関連事業をやめてしまうこと]

コニカミノルタが写真関連事業をやめてしまうこと。

実はミノルタのカメラって、α-7000, DiMAGE A1, α Sweet DIGITAL の三つしか持っていないし、それしか使ったことがない。しかも、最初の α-7000 から DiMAGE A1 までに優に15年ほどのブランクがある。

ただ、DiMAGE A1 を使い始めてミノルタを再認識して、さらに α Sweet DIGITAL で再び一眼レフの良さを見つけ、これから愛着を深めつつ、写真人生を充実させていこうとしていたタイミングでの撤退発表だった。半年に一本ずつレンズを買い足して、さらに三年弱くらいの周期でボディを買い換えようとか考えていたのだ。

なぜだか分からないけど、ちょっと普通でないほど悲しかった。

2006-01-16

clmemo@aka

clmemo@aka

Blogger.com と blogspot.com を使う上で役に立つ情報がたくさんある。すごい。

2006-01-13

私について

EPOの「私について」という歌で、「十五の私に手紙を書いたら……」ってのがある。歌の中の十五の私は幸せだと答えたらしい。
十五歳かぁ、もう20年以上前のことで実際どうだったかは覚えていないが、やっぱりそれなりにおもしろおかしくやっていたのだろうと思う。

2006-01-02

露店

昨日の元旦、仕事に行っている間に妻が子供たちを連れてN寺に初詣に行ったらしい。その時の話。

お年玉をもらって懐の暖かい長男は、妻から千円だけ使うことを許されて、財布にちょうど千円だけ入れて出かけた。で、いわゆる当てもの(?)300円で遊んで(結果はしょぼかったらしいけど)、お釣りをもらい、つぎに林檎飴を買おうと財布を開くと、百円硬貨一枚と五十円硬二枚の合わせて二百円しかなかった。

あわて手先の当てもの屋に戻り、お釣りが足りなかった旨抗議するも、全く取り合ってくれなかった。もちろん、長男がもらった釣り銭を落としてしまったということも考えられるし、すぐに釣り銭を確認しなかったのはまずかっただろうとは思う。しかし、普通に考えて、七百円の釣り銭を渡すのに五十円硬貨を使うなんてあまり考えられないから、もし、意図的に間違えて渡していたとするとこの露店商は子供相手に悪質なことをやっていたことになる。

結局いくら言ってもらちがあかないので、五百円を取り返すのは諦めて(もうすでにこちら側のあたまの中はこの「露店商=悪質な商売人」になっている……)、妻の矛先は釣り銭をすぐに確認しなかった長男に向いてしまった(気持ちはは分かる気もするが)。長男はその後うちに帰るまで泣き続け、初詣なんか行かなきゃ良かった、と言っていたらしい。